大体が突然

春に会える君を追い求めながら、光の渦へと

選択と追求―2023年1月~3月の現場―

小さい頃から、選択することが苦手だった。

例えば、好きな服を買ってあげると言われた時。何種類かのパンやお菓子を家族で分ける時。中学で部活に入部する時。大学でサークルに入る時。就職先を決める時。

複数の選択肢から、1つだけを選ぶことが苦手だった。どれが正しいのか、わからなかったから。実際、なかなか自分の中で折り合いを付けられなくて、選択をやり直したことも何度もある。そんな風に間違うのが、怖かったからである。

 

そんな私は、年が明けた2023年、転職活動を始めていた。前から転職したいとは考えていたし、行動に移すこと自体は難しくなかった。ただ、どの会社が良いのか、そもそも転職すること自体が正しいのか、確信を持てないまま面接を受け続けていた。

その一方で、ジャニーズの現場は途切れることなく続いていて、どの現場も、転職活動と仕事の両立でそこそこ疲労していた私に、いつでもエネルギーをくれた。

 

☆☆☆

 

舞台「ぴーすおぶけーき」で表れた基には、心底ほっとさせられた。限りなく日常の虹見ヶ丘団地で起こる非日常的なアルパカリアンの騒動、そこで下田くん、中村氏、上原先輩が「おバカ」だからこそ保ち続ける人間らしさと、意外と奥の深い物語。でもやっぱり笑いに包まれていて、アドリブも多くて、お悩み相談も温かくて、大学時代の先輩(おひさま)と行った1回目も、Web面接を終えて急いで向かった2回目も楽しかった。あと、東京モノレールが都会の合間を縫ってたどり着く天王洲銀河劇場、何だかテンション上がるよね。

「慣声の法則」は、12月の関ジャニ∞PayPayドーム以来1か月ぶりの福岡で、あまりの頻度に笑ってしまったけど、いつも穏やかな北斗担と一緒に回れて楽しかった。福岡は本当に食に尽きないし、どこも美味しいし、念願のパンストックにも行けたし、マリンメッセ福岡は本当に港にあって海風も強いし、いつ行っても新鮮な驚きがあるなと思う。肝心のライブは、個人的にはSixTONES史上一番楽しくて、歓声がある程度出せるようになったのもあって、会場が揺れるような盛り上がりを体感できた。最近のストの曲が好きなのもあるし、MCでスト担に話しかけに行くのも相変わらずだし、こっちも無敵な気持ちに包まれながら、羽田空港まで帰った。ドームも楽しみだな~!

舞台「ダッドシューズ」は、初めて舞台のために日帰りで大阪遠征することになって、上手く行くのかドキドキしながら、何年ぶりかの新大阪駅に降り立つことなった。大阪に住んでいる友人にも久々に会えて、奏と結星がお世話になった、アンコールのたこ焼き「ゆき」の明るくて優しいおっちゃんと、ふわふわでだしの香る(そして破格の安さの)たこ焼きも食べられて、観劇前の時点で相当満たされていた。舞台そのものは、夢を探す若者の前向きなファンタジーを、パワフルなダンスと歌で彩っていて、マモルと若木翔の父子の温かい絆にもエネルギーをもらえた。何より、普段は飄々としている横原、本当に憑依型で面白い。大阪まで来て良かった!と思わせる満足感を抱きながら、一方で終電近い新幹線にダッシュで乗り込む自分をおかしく思いながら帰った。

最初は親戚の付き添いというスタンスで向かっていた「Travis Japan Debut Concert 2023 THE SHOW ただいま、おかえり」は、2回目の月岡温泉に向かう道中、周囲がどんどん雪に埋まっていき、見たことのない光景と底冷えする寒さに、雪国たる所以を思い知っていた。こちらも2回目の「湯あそび宿 曙」も、影山が新潟温泉Jr.で訪れていたことが判明して嬉しかったし、食事も温泉も堪能できた。激込みの新潟駅前から何とか脱出して向かった雨の中の朱鷺メッセ、「on EST」以来のコンベンションセンターに懐かしさを覚えながら、開演まではのんびり親戚としゃべっていたのもつかの間、The Showのイントロ、宙に浮いたオープンカーで登場した7人に度肝を抜かれてから、みるみるうちにTHE SHOWの世界観に引き込まれていった。懐かしい曲、留学時代に培ったであろうパフォーマンスの両方を堪能しながら、演出も華やかでダイナミックで、でもMCは相変わらずオチのないままころころ話題を変えながら楽しくしゃべっていて(そこが良い)、挨拶は皆力強くて、やっぱりTogether Nowは胸にくるものがあって、進化はしているけれど変わらないTravis Japan、7人の「ただいま!」に答えるトラジャ担の温かい「おかえり!」の声、それを聞いた7人の心から嬉しそうな顔が、これからも続くTHE SHOWの全てを表している、と直感的に思った。あと、のえげんの「君だけに」で反射的に双眼鏡を構えて如恵留を追い続けていた私は、完全に心を奪われて、帰路でも忘れられないままひたすらツイートを遡っていて、気が付いたら新幹線が到着していた。怖い。しかも、オーラスぴあアリーナMMにも急遽入って、ラスト「君だけに」を見届けてしまった。マジで怖い。それから、パフォーマンスでも一番上がった「JUST DANCE!」、やっぱり大好き!

初夜勤で3時半に寝た後、迎えた舞台「キングダム」、恐らく中学生以来の帝国劇場の重厚感を楽しみながら、眠気0な自分に怖さを覚えつつ、明治リッチストロベリーチョコレート1枚を収めて臨んだ大舞台は、さすがのスケールの大きさで、展開とアクションに息つく暇もなく舞台が終わっていた。どのキャストも魅力的で、本気で演じていることがひしひしと伝わってきた。がちゃん演じる成蟜は、残酷でありながら不利に転じると逃げ惑う姿が何ともコミカルで、柔らかい落ち着いた普段の声も低くよく通っていて、ていうか、がちゃんが演じることで可愛さが増されていた気がするよ。「らんかーい!!」って呼ぶ声と、最後下手で捉えられて大人しくちんまりしゃがんでいる姿、多分忘れないよ。笑

そして3月8日、転職活動が本格化する中迎えることになった「東西ジャニーズJr. Spring Paradise 2023」。待ちに待っていた、最初で最後かもしれない、IMPACTorsの単独ライブ。しかも、エイター時代から憧れで、一度も入ったことのない松竹座が舞台なことにも運命を感じながら、一方で翌日に最終面接を控えていることに焦りを感じながら、1か月ぶりの東海道新幹線に乗り込んだ。正面から見る松竹座は、和洋折衷でいかめしくありながら全部盛りの感もあって、入り口に溢れるPINKyの波に揉まれてますます緊張しつつ、2階席でもひたすらそわそわしていた。でも、いざライブが始まると、表れた7人は確かに実在していて、ずっと少クラで観ていた曲、YouTubeでしか聴いたことなかった曲、セトリ上でしか見たことなかった曲、どれをとっても夢のようで、MCはサマパラレポで直感的に思ったとおりやっぱり話題が尽きなくて面白くて(ちゃんとオチがある!)、7人の軌跡を追体験しながら、これからの決意をU R not aloneからしっかりと受け取りながら、あっという間にライブが終わっていた。IMPACTors、皆魅力的だと思うんだけど、その様子が見られて本当に嬉しかったんだけど、やっぱりいつでも全力で良く笑うかげ、大好きだよ。

転職活動も目途が付き、3月最後の現場だった「波と暮らして/ラストパイ」は、まさかのスプパラから1週間後に再び大阪に向かうことになり、あまりの頻度に笑ってしまったけど(デジャヴ)、こちらも中学生の頃から知っていた森ノ宮ピロティホール(丸山の「ギルバート・グレイプ」の大阪公演がそこで、チラシを見ながらどんなところなんだろうと想像を膨らませていた)、意外と真黄色の外壁にびっくりしながら笑、そして事前にちらっと見たレポを少し不安に思いながら、開演を迎えた。そもそも完全なコンテンポラリーダンスのみの舞台が初経験の中、「波と暮らして」が表現するものを頭をフル回転させながら掴もうとしていたけど、「ラストパイ」ではがらりと雰囲気が変わって、単調なビートが身体全体に響き渡る中、暗がりが明けて現れた踊り子、織山は、明らかに「儀式」だとわかるような服装で踊っていて、はっと息を呑んだ。背景で繰り返される、愚かに争い続けるかのような群衆の動きとは対照的に、一点でひたすら繰り返し踊り続ける織山と汗、そのコントラストと、一瞬だけ仰向けに倒れ込んだ時、激しく上下する胸を見て、どうか早く終わりますように、そう願わずにはいられなかった。最後のカーテンコールでは、キャストに両肩を支えられながらおぼつかない足取りで、それでも観客に応えるかのように何度も出てきて頭を下げ、その姿に胸がいっぱいで、拍手することしかできなかった。あまりに圧倒されて、終演後1時間ぐらい大阪城公園をぼーっと歩いていたぐらいだった。やっぱり大阪に来て良かった、その気持ちを抱いて、何となく眠れないまま、新幹線で帰った。

 

☆☆☆

 

私が観た誰もが皆、それぞれの選択の上に立っていること、その結果をパフォーマンスとして表していた。続けること、辞めること、デビューすること、どれが正解かはわからない。どの道を選んでも、厳しいことは確かだけど、それでも、舞台に立つこと、表現することを止めない。前に向かう先には、必ず光があると思わせてくれた、そんな3か月だった。

当の私は、何とか転職先を決めることができた。今までの会社とかなり違う環境で、チャレンジしないといけないこともあるけれど、きっと「あの時選んで良かった」と思えるはずだから、自分を信じて。これからも、見たことのない景色(現場と場所)を、まだまだ自分の目で確かめたい。何より、今を楽しんで!

これからも、春に会える君を追い求めながら、光の渦へと。

色々あった2022年9月まとめ

お久しぶりです。いや、ほんと久しぶりすぎる。前回がほぼ3年前で、時の流れの速さにマジでびっくりしています。

今回の記事を書くにあたり、過去の記事(2本しかないんだけど)を読み直してみました。最初の記事は、言葉の選び方とか構成とか、我ながら良く書けていて綺麗な文章だな、と。それ以上に、当時は多分考えている余裕はなくて、ひたすらにショックで、なのにスコットランドは寒くて一人ぼっちで、どうしたら気持ちを表せるのか、切実な思いをピアノに託したんだな、と。3年前の記事は、担降りしたことを旧友に説明しないといけないんじゃないかと怖くて、SixTONESを応援する自分を認めてほしくて、自信を持ちたかったんだな、と。(あと、余程卒論に追われていたんだな、と。笑)自意識過剰なのは今も全く変わっていないんだけど、でもそういう必死な過去の自分を見て、ふっと頬を緩めている自分がいました。

もちろん、現在まで、3年前では想像できなかったようなことがありました。就職し、激務の部署で人間関係もこじれて、今年の春までには心身ともに限界で、でも異動して何とか回復したこと。一方で、様々な人との出会いにより、たくさんの思い出が生まれたこと。ジャニーズだと、去年初めて新潟遠征(SixTONES: on EST)して、ライブが最高な以上にごはんがものすごく美味しかったこと。(また行きたい。)

そんな余裕が出てきた今年ですが、2022年9月、本当に色々なことがあり、多分この1か月は忘れられないだろう、忘れたくないと直感的に思ったので、ここに書き記すことにしました。多少重いことも、相変わらずジャニ関連も、まとめて書きたいと思います。

では、順番にいきましょう。

 

まず、祖父が亡くなったこと。

2022年9月1日、私は在宅勤務で、前日旧友と飲んで最後に雪見だいふくを半分こしたこととか、最近気になっているジャニーズの子が誕生日だな~とか、そういう楽しいトピックスを思い返していました。

朝、突然電話が鳴りました。何度か電話があり、家には自分一人で、何とか親族と連絡を取り、自分自身も昼休みを終えたら一度病院に向かうことになりました。昼休み、混乱しながら何気なく録画していた「ザ少年倶楽部」(2021年11月5日)の「ツキノミチ」を再生すると、途端に涙があふれて、あ、そうか、ショックだったんだ、と自覚しました。それが、祖父の死に関連して涙を流した最初で最後の出来事でした。

祖父は、ここ数年、大病と入院を繰り返していて、今年にはもう長くないかもしれない、と言われていたこともあり、涙が出た以降は、哀しみはあまりなく、むしろ楽になれて良かったのかな、と思えるようになりました。

祖父母の家から保育園と小学校に通っていたこともあり、幼少期の日常的な思い出がそれなりに多く、糊で貼り付けた自作の地図を作っていたり、夏休みにひたすらボールペンで絵を描く自分に大量の裏紙をくれたり、錆びた自転車で妹と何十キロも先に連れていって百貨店で蕎麦を食べさせてくれたり、これらは多分、自分の根っこの部分にある経験だろうと、今になって思い返しています。

そもそも、法事に参加するのがほとんど初めてで、ものすごい出費だなとか、色んな儀式があるんだなとか、そういった経験一式も思い出になるのだろうと思いながら、祖父母の家のある一帯を、駅から伸びる陸橋から眺めていました。

 

次に、富山と愛知に旅行に行ったこと。

9月は、法事もありましたが、夏休みもあり体感半月ぐらい休んでいました。夏休みをこの時期に取ったのは偶然でしたが、法事も幸い被らず、タイミングとしては良かったのだろうと思います。

富山は初めて訪れましたが、まず立山連峰の壮大な景色、朝日に照らされて光るような草木の山肌と、それを鏡のように映す池、山の向こうまで続いていく道と水分を含んだ空気が、何となくスコットランドに似ている気がして、それでいて新鮮な気持ちで眺めていました。朝1時間ぐらい散歩したの、本当に楽しかった。

それから、富山市街に降りて、高岡と富山の街を巡りました。どちらかというとロケ地巡りの感が強かったのですが(後述)、それを差し引いても、面白いものばかりでした。高岡の寂しいシャッター街を抜けてある神社と茂った森、瑞龍寺からまっすぐに伸びる、「潤いのある景観」のために造られた舗装された道(卒論に関係していてツボだった)、お寿司を食べた帰りに見かけた噴水のライトアップが綺麗すぎる県庁前公園、雨晴の駅に向かう氷見線が断崖ギリギリを走り、車窓から見えた暗い日本海と灰色の曇り空、ガラス美術館と富山県立美術館の木が骨組みとなった開放感のある空間、環水公園の統一された赤レンガと天文橋から眺めた運河と街並み、どれを取っても忘れられない景色です。市街はまだ暑かったけど、よく歩いて、ああ自分は歩くのが本当に好きなんだな、と実感しました。

名古屋では高校を卒業する際に伊勢神宮の帰りに立ち寄って、お腹が全く空いていない中皆で必死に矢場とんソースかつ丼を食べた記憶しかなかったのですが、せっかく大学の知り合いが愛知にいるということで、何年ぶりかに会いに行きつつ、車で回ってもらいました。川の崖の上を車道が走っていたり、犬山城は登るのが意外と簡単だったり、名古屋の一般道の上は大抵高速道路が塞いでいたり、車で回ったからこそ、色々な発見がありました。車内では私のスマホの音楽を流してもらいながら本当にずっとしゃべっていて、なぜかbayfmのtraffic updatesに合わせてロバート秋山友近が歌う動画を聴いて爆笑したり、熱田神宮の帰りにパーキングの場所がわからず神宮を半周したり、そういう時間の流れが懐かしく、最後に車と展望タワーから眺めた名古屋の夜景にシンプルに綺麗だと思ったり、昼に見かけた高速の一列の光を探したり、本当に楽しい1日でした。(そして、愛知は日帰りで全然行けちゃうということを知った。)

 

で、何のロケ地巡りをしたのかというと、、、

ドラマ「高良くんと天城くん」にすっかりハマってしまっている私は、ドラマよりも前に偶然決まっていた富山旅行に、多少無理を言ってロケ地巡りをくっつけてもらったのでした。

最初は「おりぴー(織山尚大)可愛いかなあ~」ぐらいの軽い気持ちで観始めたのが、一気に引き込まれて、毎回息が止まるぐらい感情移入して、放送が待ち切れなさすぎてTverの配信日(2:00)の夜中から明け方に起きてはハイライトと次回予告をTwitterで探してしまうという、まるで中高生みたいなハマり方に自分で笑ってしまっています。(寝ろ)

富山旅行に行ってからは、あの水蒸気を多く含んだ暑い空気と場所が重なって、さらにリアルな感覚でドラマに没入しているような気がして、もしかして私はまだ富山にいるんじゃないかと錯覚しています。いや、まだ富山にいるのかも。

この令和に、色々公式SNSがあるのは本当に供給多くてありがたいし、特にTikTokに投稿された織山の「ダンスホール」は、織山の武器であるバチバチのフリーダンスで観ていて気持ちが良くて(なのにオチが可愛すぎて最高)、そもそも「ダンスホール」自体がめちゃくちゃ良い曲だし、あんな風に自由に踊れたら絶対楽しいだろうなと思って、繰り返し観て元気をもらっていました。(実際、名古屋に向かう新幹線の中でずっと聴いていた。)

映像も美しいのですが、主演の二人が本当に良くて、あと香取と田中もナイスすぎて、何より高良と天城の関係性とストーリーが良すぎて毎回心臓が止まっているのですが、それを話すとめちゃくちゃ長くなりそうなので、また別の機会に書けたら良いなと思います。あと、twilightはめちゃくちゃ良い曲。(聞くだけで動悸するようになった。笑)

 

そんなこんなで、「高良くんと天城くん」以来、佐藤新ってどんな子だったっけ?と気になり始め、あそうかIMPACTorsか~少クラとか観てみよう、ということがきっかけとなり、

「IMPACTorsに沼落ちした」

というのが、色々あった9月の最大の出来事です。

あれ?少クラのパフォーマンスも結構良いじゃん…サマパラレポMCめちゃくちゃ面白くて楽しそうじゃん(みっちー来た回とCHUDOKUの再現がツボ)……え、皆一気にドラマやら舞台やら決まってない!?!?(TANPACT全然売ってないけど笑)待って!!!全員キャラ違くてかわいい!!!!!もっと知りたい!!!!!!!

と、これは推さざるを得ず、あれよあれよという間にISLAND STOREでグッズを、Amazonで雑誌を購入していました。ちなみに、富山旅行に間に合ったので、アクスタはしっかり持って行きました。めちゃくちゃ楽しかった!!笑 いや、こんなに熱心にTV誌やドル誌買うのいつぶりだよ……

一応、元々カッコいいな(多分好みの顔)と思っていたので、影山担なのですが、どうしてもあらちを目で追って胸がきゅっとしてしまう自分がいます。かげは本当に全力で豪快で大きな笑顔作るの、大好きだ!と思うし、新はどうしてもその顔と行く先から目が離せない、で、ポンコツエピソードを聞くたびに自分と重ねて応援せざるを得ない。二人ともとっても熱くてキュートで、結局自分と似ている人が好きなんだろうな、と思っている毎日です。

もちろん、他のメンバーも皆チャーミングで好き!曲とパフォーマンスの雰囲気、グループの空気感、メンバー全員の個性、どれを取っても自分にしっくり来ていて(多分、オタクの雰囲気も)、このピースがハマる感覚は、関ジャニ∞以来なんじゃないかという気がします。

日が短く寒くなる秋冬は好きじゃなかったけど、舞台「波濤を越えて」も、ドラマ「最初はパー」もあるし、ほかの現場もレポが楽しみだし、これからも応援していく季節が本当に待ち遠しいです。

もちろん、SixTONESを始めとして、ジャニヲタ的にはこれからも色々楽しみなのですが。(個人的には「Good Luck!」の発売がめちゃくちゃ楽しみ。曲が好きだし、基くんもジェシーと踊ってくれたりする!?と皮算用するのが楽しい。)あと、こーち、「夏の夜の夢」めちゃくちゃ良かったよ!!!

 

多分以前まで、心のどこかで常に重い仕事とか暗い過去に脅かされていたけど、色々あった2022年9月、本来の自分がようやく見えてきた気がします。今を全力で楽しみたい。それから絶対に元気でいること。

IMPACTorsが活動を加速させる様子も、同世代として勇気付けられるし、絶対応援したいし、私も1つの目標ができたので、絶対叶えたい。

"A place to be myself"

その言葉を胸に、次の季節に進もうと思います。

 

SixTONESのファンになった経緯まとめ

こんにちは。
ブログの更新が1年半前ということにめちゃくちゃびびっています。
前回は留学中に勢いで書いたのですが、その後留学が終わり、サークルを卒業し、就職活動があり、とまあ数え切れないほどの変化がありました。
その中の一つが、タイトルの通りSixTONESのファンになったことです。
エイターは担降りしました。
その経緯をまとめておきたいとかねがね思っていたので(卒論がやばくてそれどころじゃないのですが)、2019年が終わる前にまたブログを書くことにしました。
まとめることで、自分自身のためにもなるだろうし、今までオタクとして散々付き合ってもらった友だち、特にエイターの皆に対する説明責任を果たせると思っています。


とは言え、あんまり時間が取れないので、SixTONES髙地優吾くんに宛てたファンレターに代えさせてもらおうと思います(今年10月頃投函)。
見苦しい箇所もあるのですが、これが一番よくまとまっていて自分の気持ちも込もっていると思ったからです。こーちごめん。でもこーちなら許してくれそうな気がします。
ではどうぞ。

 


☆☆☆☆☆☆

 


高地くんへ


季節の変わり目、いかがお過ごしでしょうか。
私は大学5年生、ジェシーくんと同じ23歳の女です。今回は、SixTONESと高地くんに感謝を伝えたくて、初めて手紙を書かせてもらいました。読んでくれるとうれしいです。


まず、私がなぜSixTONESを好きになったのか説明します。
きっかけは、昨年妹にジャニーズJr.のYouTubeを勧められたことです。
私は、元々関ジャニ∞のファンでした。しかし、大学生活が忙しかったことや、渋谷すばるくんの脱退の件から、関ジャニ∞への興味を失っていきました(ただ、楽しい思い出をくれた関ジャニ∞に対しては、今でも感謝しています)。
私は当時、大学4年生でした。留学したため、1年留年して(大学に5年通い)就職活動をするつもりでした。
就活まで時間があったので、たまにジャニーズJr.チャンネルを見るようになりました。当時は特にこだわりなく、面白そうな動画を見ていました。その中で、SixTONESSnowManは個性が際立っていて良く見ていました。
年が明け、3月になり、本格的な就活が始まりました。最初は、すぐに就活が終わるだろうと思っていました。自分で言うのも恐縮ですが、私は某有名大学に通っていたし、周りの人も早々に就活を終わらせていたからです。
しかし、現実はそう甘くはありませんでした。一般的に内々定が出始める5月になっても、私は内々定を1個も持っていませんでした。当時第1志望群だった企業は全て落ちました。自分が追い詰められていくのを感じました。就活をしたことがない両親や、卒業して社会人になった(一流企業の)友人や先輩には相談することができず、塞ぎ込んだり、荒んだりした気持ちや態度になりました。
その時、ジャニーズJr.チャンネルやSixTONESの存在を思い出しました。面接に落ちたおかげで時間のあった私は、再びそれらを見るようになりました。見る度に、追い込まれた気持ちが和らいでいくのを感じました。過去の動画(特にセブンイレブンシリーズ)も繰り返し見ました。SixTONESの届ける笑いにつられて、いつでも笑顔になることができました。
そして、「まだ就活を頑張ろう」と前向きな気持ちになることができたのです。
6月になり、何社か内々定をもらうことができました。また、夏採用の企業にも応募して、就活を続けました。今までの経験を生かし、より自信を持って面接を進めることができました。
面接は連日続きましたが、毎週金曜日のSixTONESの動画更新や、雑誌やテレビの出演を楽しみに、就活に励みました。
そして、8月になり、志望していた就職先から内々定をもらって、無事就活を終えることができました。


長々と書いてしまいすみません。
そして、これらの経験を通して私は決心しました。SixTONESのファンになり、今後も応援していくと決めました。
SixTONESが私にとって大切な存在となったのは、もちろん屈託のない笑いを届けてくれたためです。しかし、それ以上に、SixTONESが私と同世代だからだと思っています。SixTONESの言葉や感覚は、同世代としてとても共感しやすかったのです。また、新時代のジャニーズとして様々な仕事に挑戦する姿は、就活をする私自身に重なって見えたからこそ、勇気付けられたのです。「SixTONESが頑張っているから、私も頑張ろう」というように。特に、高地くんは「何もできない」と自覚しながらも、SixTONESとして、ジャニーズとして邁進しています(もちろん、髙地くんが何もできないなんてことは決してなくて、様々な魅力を持っていると思っていますが)。おこがましいながらも、その高地くんの姿を同じように中高時代や就活中に個性を見失っていた自分自身に重ねることができました。
ジャニーズをこれだけ身近に感じられたのは初めてです。
だから、恐縮ですが、未来をともに戦う存在として、今後社会に出てからもSixTONESを意識し応援していきたいと思っています。


SixTONES、就職活動の際は本当にありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。

 


P.S. CDデビュー、本当におめでとうございます。
また、舞台「少年たち」、5年間本当にお疲れさまでした。私は行くことができなかったのですが、ファンの皆さんのレポートを拝見させていただきました。「少年たち」を通して、SixTONESSnowManもともに成長していったことが感じられて、とても温かい気持ちになりました。
個人的には、私が大好きな雑誌「Hanako」にSixTONESが掲載されたことと、「すとらじ」が再開されたことがとても嬉しかったです。
SixTONESや高地くんのお仕事をこれからも心から楽しみにしています。

 


☆☆☆☆☆☆

 


はい。
全部読んだあなた、お疲れさまでした。


SixTONES以来、元々よく動画を観ていたSnow Manしかり、Jr.の中で曲調が一番好みのTravis Japanしかり、野郎組以来気になったHiHi Jetsや美少年しかり、毎日ジャニーズJr.の子たちにめちゃくちゃ楽しませてもらってます。
本当に楽しい。
これからも楽しくオタクやっていきます。


そして、今後このブログではSixTONES中心にレポをあげていくつもりです。
まずは1/5のTrackONE IMPACTを目標に(卒論次第では遅くなりそう)。
記憶力が良いのか悪いのかよくわからない自分ですが、楽しく記録していきます。


ではまた。

つい昨日から、ピアノを弾き始めた。

留学中の寮に、一台設置してある電子ピアノだ。

普段は、ほぼ誰も使っていない。自習室のようなところにあるので、基本的にヘッドホンをして演奏しなくてはならない。

この調子だと毎日弾き続けそうだが、あの東洋人また来てるな、なんて他の人に覚えられそうな気がしている。

 

 

ピアノを習っていたのは、中一から高二ごろまでだ。大学受験を機にやめた。

始めるのが遅かったのもあり、指は硬かったし、そもそも手が小さかったし、あんまりちゃんと練習できなかった(しなかった)から、そんなに上手いとは言えないと思う。

音感があるわけでもないので(その辺の区別はよくわからないのだが)、耳コピもできない。

それなりに曲を弾いたし、少しだけ発表会に出たけれど、ほとんどの曲は忘れてしまった。

 

ただ、一曲だけ諳んじている曲がある。

 

 

関ジャニ∞ツブサニコイ』(2011)

 

 

この曲は、買ってもらったピアノ雑誌に載っていて、よく弾いていた。

特に先生に指導を受けたわけではないので、自分で練習したのだが、楽譜が少し簡単だったり、ロッカバラードというやつ(その辺も詳しくないのでわからない)だったり、三連符を基軸に置いていたりして、妙に弾きやすい気がして、気に入って弾いていた。

 

盛り上がりもわかりやすいし、原曲はストリングスがとても綺麗だ。

関ジャニ∞の熱のこもったボーカルも、歌詞の不器用な世界観と良く合っている。

 

 

この曲には、色々な思い出がある。

 

祖父母の家に、小さいけれど本物のピアノがあり、訪れる度に弾いていた(今も弾いている)こと。

関ジャニ∞がこの曲を初披露したMステでは、大サビで大コケした人がいたこと。

一時期の関ジャニ∞は、ライブで繰り返し繰り返しこの曲をやっていて、「もうバラードはいいよ~」と友人たちと話していたこと。でも、ライブでこの曲が流れる時は、いつも美しい演出だったこと。

高校の友人二人が、春休みに家にやってきて、ボーカル・ギター・ピアノのセッションをするも、私が練習不足で途中離脱したこと。

大学受験で一週間も家から出ない日々が続き、慢性的な頭痛を持っていた時も、たまに弾いていたこと。

 

 

ピアノを弾くことで、弾いているということ、そしてその音楽以外の他のことを、全て忘れることができた。

他の楽器も、そうなのかもしれない。

 

 

もっと多くの思い出があったはずなのだが、かなしいことに忘れてしまった。

思い出は、いつも決して甘いものではなく、ほろ苦いものもたくさんある。

ただ、全てやさしい光を湛えながら、私の中に残っている。

 

関ジャニ∞は、常に私の人生とともにあった。

短いが、若くてまぶしい季節。

 

 

昔は、朝や昼休みや放課後に学校で集まっておしゃべりしていた、身近なエイターたちも、ある程度大人になり、離れ離れに、忙しくなってしまった。

色々な問題を、ある程度は自分で乗り越えなくてはならない。

 

この時期に、ピアノが近くにあって、一曲だけでも曲を覚えていて、しかもその曲が関ジャニ∞の曲で、良かったと思う。

とは言え、要所要所忘れてしまっているので、YouTubeにあがっている素敵な演奏と照らし合わせながら、思い出していくしかないけれど、その探り探りの作業も楽しい。

 

何より、一人でも、偲ぶことができる。

 

 

今は、『ツブサニコイ』を弾き続けながら、ゆっくり消化していく。